Posterous theme by Cory Watilo

残ること

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松山市、人口50万人の中心部。

 

明るく陽が射す南からの眺め。

手前から、松山市役所 、NTT、愛媛県庁、松山城。

別名、金亀城(きんきじょう)。

そう呼ぶ人は少ない。

 

伊予鉄の路面電車が走る4車線の道は、

「榎町通り」

と呼ばれていたのに、

使われない、素敵な名前。 

 

ここは、道後平野の比較的北部。

ここに都市域が発達し、道後平野中央部から南部にかけては、市街地化が進みつつも、

まだまだ豊かな田園地帯が、

残されている。

来目部小楯顕彰碑、生目神社の杜

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松山市南梅本町。 

かつての久米郡久米郷域。

清寧天皇の時代に播磨国司としての赴任地で億計(おけ)(仁賢天皇)・弘計(おけ)(顕宗天皇)の二王子を発見したと伝えられる日本書紀・古事記の登場人物、小楯(おだて)。
伝承では伊与来目部の人で、この貢献により山部氏の始祖となった。

うちのすぐ近所のこの小さな杜がある一帯は播磨塚と呼ばれ、陸上自衛隊の松山駐屯地。

天皇家の断絶を防いだ彼の館跡と言われています。

近くには、6世紀の前方後円墳(播磨塚天神山古墳と葉佐池古墳)、カヤノヒメを祀ったお社(徳威三嶋宮)とウマシアシカビヒコジを祀ったお社(浮嶋神社)もあります。
オオヒルメの野田神社、三輪田米山が「萬古清風」の石文を残した日吉神社も並び、いにしえの記憶が濃厚な一帯です。